前述しましたが、中3になるというときに、また
また引越です。今度は、父が東京勤務になるので
東京か、近隣の都市に移るということでした。
僅か、2年間と言う短い”札幌時代”でしたが、充実
した時間を過ごせた分、たくさんできた友達との
別れは、とても辛いものがありました。
また、高校受験を控えたこの時期に環境が変わるこ
とは不安以外の何物でもなく、どこを掴んでいれば
安全なのか、宙に浮いているような感覚だったこと
を覚えています。
しかし、”別れの日”は着実にカウントダウンを重ね
ました。
そんななか、クラスの有志で”札幌ミニツアー”を催
してくれました。
写真はその時のもので、”道庁”、”時計台”や”五番館
(札幌では大きなデパート)”の食堂でランチしたり
楽しい時間を過ごすことができました。
この頃から、”想い出”の大切さをしみじみと実感す
るようになり、写真で残しておこう!と言う習慣が
ついたような気がします。きっと、転校が多かった
からだと思います。
また、担任の豊田先生の”粋な計らい”で、自身のコ
マの6時間目の数学と、担任としてのホームルームを
繋げて、「送別会」を開いてくれました。
ドラマの最終回、30分拡大スペシャル、って言うや
つです。
特に”ヒロミ君”がギターを持ってきて、吉田拓郎メ
ドレーを熱唱してくれたのが想い出深かったです。
曲は「夏休み」「春だったね」だったと思います。
黒板には、「ありがとう シューへ―」と書かれて
いました。
カワシューごときが、このクラスで、ヘラヘラして
いただけで、「ありがとう」なんてこと、思い当た
りませんが、「さようなら シューへ―」だと、
カワシューが泣いちゃって、どうしようもないから、
「ありがとう」とした、クラスメイトの配慮がうか
がえます。
その「ありがとう」の言葉を受けて「こちらこそ
多くの想い出をありがとうございました」と、
心の中で返し、数日後、札幌を離れることになりま
した。
時代は、1975年(昭和50年)「あんた、あのこのな
んなのさ?」のフレーズが印象的だった「港のヨーコ・
ヨコハマ・ヨコスカ」、「シクラメンのかおり」
「氷の世界」がヒットし、新幹線が、博多まで開通、
映画では「タワーリング・インフェルノ」「大地震」
「エアポート’75」などのパニックものがヒット。
成人指定で残念ながら見れなかったのが「エマニュエ
ル夫人」でした。
また、「紅茶キノコ」なる怪しげなブームがあったり、
個人的には夜食の友「ペヤング・ソース焼きそば」が
ヒット商品でした。
盛沢山の「札幌篇」はこれにて最終回となります。
次回から、「少年カワシュー」八千代篇に突入します。