浪人中から大学生にかけて、いろいろなバイトを経験しまし
た。なかでもバイト代がよかったのが、輸出車の船積みのバ
イトです。
この船積み作業にかかわる、人集めを仕切る、女親方に頼ん
でおくと習志野・茜浜や船橋、はたまた追浜の港でバイトの
口があるのです。
1980年初めの当時はまだ、海外における生産の拠点があ
まりなかったので。車の輸出は盛り上がっていてバブリーな
時期だったと言えます。
船積みの車は、ホンダのアコード、スバルのレオーネ(後の
レガシー)、日産のマーチ(日本名パルサー)、430(日本
名セドリック)、時には4tトラックも運転しました。
慣れない左ハンドル、また、埠頭の近くの空き地で長い時間
駐車していたため、エンジンの吹きも悪く、今では考えられ
ない、エンジンがいきなり止まる、「エンスト」もしばしば
ありました。
船積みのバイトは、新人のうちは埠頭の近くの空き地から岸
壁まで運ぶ作業をしますが、親方みたいな人に認められると
岸壁から船内に昇格します。言ってみれば、Jrからメジャー
デビューというイメージです。
しかし、このバイトの魅力はバイト代です。拘束時間にかか
わらず、1日のバイト代は埠頭前までの陸送は、5千円でし
たが、船内に昇格するといっきに倍の1万円となるので、船
内に呼ばれたいと常々思っていました。1万円は貧乏学生に
とっては大金です。
しかし、自分ではどうすることもできず、急な欠員、予想以
上に台数が増えるなどのことがなければ、そのチャンスは巡
ってきませんでしたが、ある日、同じ埠頭に行き先が違う
2隻の船に積むことになり、陸送で5回目のカワシューにも
船内の声がかかりました。