カワシューのひとりごと Vol 41 ~ 人魚の夏・後編~

カワシューのひとりごと

(前編から続く)
ところで「人魚の夏」のテーマは何なんでしょう?
強面の作詞家のオジサン、阿久悠先生の意図を考察すると
大人への階段を上りつつある「脱少女」という言葉が当て
はまるとカワシューは考えます。
恥じらいながらも、少女から大人へ、変わっていく先の
自分の偶像をプリプリっの「人魚」としたのでしょう。
脱皮し、変身するという悩ましさのなか戸惑いの心境を
「誰かに突然、見られたらどうし たらいいのでしょう?
どうしよう?」と表しているとみています。
いや~、すっかり、カワシューのオヤジ節が入っちゃいま
した。
いやいや、日に焼けた思春期の少女にどっぷりと、なりき
ったわった阿久悠先生の意図をくみ取っただけので、いま
さら、スケベ オヤジなんて言わないで下さいよ。
純粋な考察で、 先生とは同罪です。

「人魚の夏」はオリコン最高69位と、アイドル乱立気味
の当時を考えると、まずまずだったそうですが 「夏娘」
でデビューした印象が強過ぎて、秋以降の第二弾が続か
ず結局シングル4枚を残して、小林美樹は 進学のため引
退しました。
「夏娘」の強烈なインパクトをもって、デビューさせたの
はいいけれど、秋冬、そして春の装いもチャンと年間スケ
ジュールをたてて、育ててほしかったです。

プロデューサー陣営としては、
スタ誕同期の伊藤咲子 (ひまわり娘)石江理世(記憶に
ない)と流行りの ”3人娘”で更なるプロモーションをか
けようとしてい たようですが、残念ながら、おじ様たち
の、そろばんが狂ったようです。

そんな小林美樹は引退後、明治大学を卒業、日テレ系の新
潟の地方局のアナウンサーとして転身、「ズームイン朝」
にも出演していたようです。いまでもAKBの〇〇ちゃん
がテレ東のアナウンサーになってるなんて、よくあります
よね。 その走りでしょうか?
TNN(テレビ新潟)時代の小林美樹アナウンサーCM
’83 ’84はこちら↓

その後はオーディションを勝ち抜き、NHKのお堅い経済
番組でアシスタントを務めた経歴もあるそうです。 芸能
界引退後の、小林美樹はアナウンサー、キャスター と、
ステップアップを経て「続・人魚の夏」を自ら地で歩んだ
と言えます。
押しだったカワシューは歌詞にある「どうしよう」では
なく「(小林美樹さん、今)どうしているの?」というの
が率直な心境です。

出展:くくさんのXより