話はかなり飛びますが、目指す進路に到達せず、結局、親戚の
ツテでゼネコンの不動産部門に入社することになりました。
1984年(昭和59年)サラリーマン・カワシュー23歳
入社当時の上司は、年齢がひと回り上の、ねずみ年、36歳の
Y課長で、カワシューが苦手なタイプの人でした。
身長は180㎝くらいの体育会系で、カネボウの「エロイカ」
という整髪料の匂いと、煙草の匂いがその方の象徴とも言えま
した。白髪交じりに、角度がついた極道銀ぶちメガネ(残念な
がらAIでは再現できませんでした)、今の36歳とは貫禄の
度合いが格段に違いまさに”オヤジ”と言う名にふさわしかった
と言えます。
広島発祥の会社でもあったので,自分のことを「ワシ」とか
「ワシャ~」というのでオヤジ加減が増長していました。
そのY課長、外出の際は
「んじゃ、ワシ、今から行ってくるけ~の(どこに?)、さっ
き言った資料まとめといてくれよ、帰ってきてから、ワシがチ
ェックするけ~の~」と、出かけますが、
定時になっても帰ってこず、ヤキモキしながら時間がたつばか
り、今みたいに携帯がないので、連絡も取れず、20時すぎに
なったところで、1本の電話。
カワ「はい、〇〇建設です」
Y課「オッ!おまえ、まだ、いたんか~アホじゃの~(あほと
はなんだ!コノヤロ~!)帰りゃいいのに」とほろ酔い気味。
カワ「(ハァ!?)資料ができたので、見て頂けると・・・」
と言っても、悪びれず、大音響のレーザーカラオケがバックで
流れるなか、
Y課「そっか、それは明日、明日。んじゃなぁ~、ブルーバ
ードにおるけ~、(新大久保のスナック)来いや」
と無茶ぶり。
結局、新大久保のスナックまで行くと、Y課長、女子を侍らし
て、いい感じ。こっちは、シラフなので、駆けつけ3杯で追っ
つき、結局、朝までコースとなりました。
そのY課長、社内では、出かけたら帰ってこない、”鉄砲玉”
と言われ、以来、新入社員カワシューは、Y課長が外出でいな
くなると、定時でサクっと帰るようにしましたが、2度ほど帰
った時に「待ってろ、と言ったのに(言ってない)何で帰っ
た?」と怒られたことがありました。
「何か、ありましたか?」と聞くと
2度とも「折角飲みに行こうと思っていたのに」という答え。
出たっきりで、いつ会社に戻るとも知れないファンキーな上司
に携帯で連絡をとるすべもない時代、そんな”昭和”の、ある
意味平和な一コマだったと言えます。