1985年(昭和60年)の冬、Y課長とカワシューは新
たな展開を迎えます。
土地の仕入れを委託している、街の不動産屋さんと連携し
てその地区の再開発に乗っかって、マンション事業で名を
馳せようというミッションのなか、舞台を新宿から、下町
の風情が残る、月島に舞台を移しました。 月島は、いま
でこそ”もんじゃ焼き”で盛り上がっていま すが、当時は店
もそれほど目につきませんでした。
また、月島にはまだ駅がなく、本社がある飯田橋から営団
地下鉄、有楽町線の新富町(当時は終点)から歩きで
全長246mの勝鬨橋を渡って、月島の不動産屋に通うこと
になりました
ここでは便宜上「月島不動産」ということにします。
訪れたのは、どこにでもある、”街の不動産屋さん” 店頭
には、不動産協会加入の看板、宅地建物取引主任者が 不
動産取引をしていますよ的な看板が掛けられて、窓ガラス
には、地図と図面入りの賃貸物件の張り紙が貼られて、
ほんと普通の店構えでした。
当時の月島での家賃相場は、ワンルーム25㎡で50,000円
くらいだったので、都心のおしゃれな場所だと1.5倍位 の
感じでしょうか? ただ、この年、プラザ合意があり日本
でも日本も金融緩和が進んだことが景気刺激策となりまし
た。金利の低下は、住宅投資や設備投資、個人消費の拡大
など内需の拡大に繋がり、やがてバブル絶頂期へとつなが
ってゆくという時期だったと思います。
入社以来、ビルの工事現場を経て、Y課長とは離れられな
い仲となり、不思議と安心感を抱くようになったのですが
彼の行動は、まだまだ予断を許さないと言う状況でした。
勝鬨橋を渡りる道すがら、歩きタバコのY課長、
「川原、また、おまえと一緒でえかったよ」との浮くよ
うなセリフ(奥さんにも言ってるのか?)
「おまえも、ワシでえかったろう(何だ!?この自信?
いやいや、それは俺が決めることだろ?)
その時点では、カワシューは何となく
「月島不動産」には胡散臭さを感じているのに、妙な高揚
感があり、無駄な胸の高鳴りを抱いていました。
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