デッドボールで、当ててしまったピッチャーと
当てられたバッターが、睨みあったり、掴みあ
ったりする、と言うお話をしましたが、
それが、そうではなかったことがありました。
運悪く外国人のピッチャーが、こともあろうに
こうゆう場面では、球界屈指の激高しがちで
血の気の多い、いわゆる”武闘派”のバッター
に当ててしまったときです。
当然、バッターは、「この野郎!」とばかりに
ピッチャーに駆け寄ります。
が、しかし、その時、外国人ピッチャーとして
は珍しく帽子をとって謝罪の意思を示しただけ
ではなく痛みをこらえながら一塁へ進む、バッ
ターに近寄り、「本当にすみませんでした」と
ばかりに身振りを見せ、声をかけ、腕を差し出
し、和解のタッチを試みます。
この行動により、当てられたバッターも、怒り
の感情がほぐれ、「もう、いいよ」のグータッ
チとなり仲直り。
また、当てられたバッターを迎える、当てた方
のチームの一塁手が、バッターに近づき
「うちのピッチャーが、当ててしまって、すみ
ませんでした」と、帽子をとって謝罪すると、
当てられたバッターも
「いいって、いいって。」と言っているかの、
シーンもあり、いい光景だと思いました。
スポーツ観戦の醍醐味は、美しく華麗な身のこ
なしや、きわどいプレーで、人々を感動させて
くれますが、今言ったような場面も、スポーツ
マンシップに則った、感動の場面と言えます。
デッドボール。ボールが体に当たっ方は体のど
こかが痛いのですが、実はボールを当てた方が
心中穏やかではなくもっと”痛い”んです。
スポーツに限らず、時として殺伐たる場面もあ
る日々の暮らしにおいても、
「ごめんなさい」や「ありがとう」のひとこと
が、人と人がわかりあえる、第一歩だと思うし
大切にしたい事だとカワシューは思いました。